Saturday, September 30, 2023

「スナック愛」の感想 (Hasegawa)

 今週は「スナック愛」を読んで色んな事を考えされました。なぜこのスナックは人気がないのか、おばさんがどいう人なのか、その二つがどういう関連があるのかなど。まず、スナックが人気がないのは圧倒的にスナックの営業の仕方とおばさんの性格が全く合わないからである。スナックは普通サラリーマンが仕事が終わった後の夜遅くから開店するのだが、おばさんは自分の生活習慣を大切にしてるため客が来ない。開店は朝の7時半で閉店は夜の11時。その上用意する食べ物は毎回同じで肉団子とハンバーグは両方レトルト。味が同じなのだ。コーヒーも夏も冬もアイスである。おばさんが歌う曲も夜が遅くるにつれ「フランシーヌの場合」みたいな若いらしい曲から「ざんげの値打ちもない」みたいな渋い曲に変わっていく。直接書かれてないのだが、多分お酒の影響があると見える。おばさんが一人で飲んで歌うスナックに入ろうとしない客の気持ちもわからないでもない。


最初の半分は特におばさんのことを好きになれるような場面がなく逆に変な印象をあてるような文章が書かれていた。しかし、後半はおばさんの性格や人柄を見れる文章がよく書かれている。例えば娘を大事にする姿や孫の赤ん坊の離乳食をベースにしたメニューをだしてりなど好意を持てるような描写が書かれてある。おばさんをだんだん知っていく書かれ方が個人的にとても好きだ。もちろんまだ不思議なこともあるし、見た目がどういう人なのかもよく分からない。最後にスナック愛がどうやって儲けておばさんが生計を立ててるのかが謎のままが非常に面白い。日本の近所のスナックや個人経営がどうやって長年続けてるのかが分からないみんなの頭の端に置いてるようなことを書いてくれる面白さもなかなか好みである。


川上弘美の作品を読んだ感想 (Zen)

     先週、私たちはいっぱい彼女の作品を読んで、その中に一番好きなのはうごろもちというsf短編小説だった。読み始めた時が主人公は人間ではないことに気づいたけど、私にはそれぐらい普通なsf小説だと思っていたが、主人公が人を拾うという行為にすぐに注意をひかれたのだ。sfについての作品はいっぱいみってたけど、そのような描写は初めて見て、一体どのように拾うかとうごろもちの分際でどうやって人間を拾えるかとかとても興味深くなってきたんだ。その他に一つ驚くこともあった。それはこの人をネットで調べたら、sf小説家なのに、一番有名な作品はsfではなく、逆に現実過ぎて、私には堅苦しいほど思いさせて、先生の鞄という本なのだろうか。そして、このあたりの人たちについて、一番気になったのはなんか彼女の近所の人たちはほとんどとてもおかしい人たちばかりで、あれほどの変な人が全員

一箇所でいるなんて、普通有り得ないではないだろうか。

川上弘美の作品の感想 (Kuwa)

 彼女の作品のどれもが独特な世界観を持っていて、村上春樹とはかなり変わった小説だと思いました。僕が特に好きだったのはこの辺りの人たちです。元々、展開が早いのが好きなので、重要人物が次々変わっていくのがとても新鮮で気に入りました。また、他の作品に比べると、すこし現実的で人との関係をよく描いているなと思いました。作品を読むにつれて、自分の周りの人たちを自然と比べながら読んでいて面白かったです。

モグラの話もかなり好きでした。所々、モグラ、つまり人間以外の視点だから傷ことや人間のいいとこ、悪いところがよく描かれていて、面白かったです。あと、最後まだ、モグラだと分からず、気づいてからまた読み返すという面白さもあって好きです。

Friday, September 29, 2023

都市伝説 in the 小説 (Marcus Tsai)

「都市伝説」という言葉を知らない人でも、いくつか聞いたことはあるだろう。今やネット文化の一部で、「きさらぎ駅」といった話はウィキペディアに独自の記事までできていて、もはやネットに疎い人が知っていても当たり前だと言える、そんな魅力的な都市伝説。

きさらぎ駅の舞台は現実の遠州鉄道という人もいる。
辞書では、

現代の語り伝えられている、出所が明確じゃない噂話

というものをなんでも「都市伝説」と呼ぶが、皆さんが思い浮かぶ都市伝説はおそらく

  • ミステリアスで奇抜で、ふざけたような話
  • 内容が不気味
  • 主人公が難局に立っていて、最後は問題解決ならず
  • ほぼ毎回同じパターンなのに、とにかく最後まで読むのがやめられない

などの魅力までついたものではないだろうか。なので今回は、都市伝説じゃないけど、都市伝説の魅力を持った「小説」を紹介させてもらう。

最初に思いついたのは、星新一の『おーい でてこーい』。ある日、村に急に大きな穴ができたという話。村人が「おーい、でてこーい」と叫んでも反響しないくらい深い穴だった。村人はその穴にゴミを全部捨てて、村も世界もその穴のおかげで浄化されたが、ついに穴はとんでもない災害をもたらした。

『おーい でてこーい』が絵本になったバージョン。

そもそも星新一はネットの誕生よりずっと前に小説を書いていたし、『おーい でてこーい』のようなSF小説をたくさん生み出した点では、むしろ星新一のおかげで今の都市伝説があると言っても過言ではないじゃないか。SF小説でさえあれば都市伝説的な魅力があるわけじゃないが、星新一はその魅力を申し分なく生かしてくれたのだ。

次に紹介したいのは、朱川湊人の『昨日公園』 。少年・遠藤は公園で友達のマチと分かれて、その夜マチが死んだと聞かされたという話。遠藤が悲しんで公園に行くと、なんとマチが生きていた日に戻ったのだ。マチを助けようとしたが、今回は別の原因でまた死んでしまう。その日に何度も戻ったけれど、マチを助けられない上、戻るたびにマチの死が酷くなり、更に他の人も巻き込まれるようになって、遠藤は厳しい選択を強いられた。そして30年後、子持ちになった遠藤はまた公園へ来たが、再び思いよらぬ事態に陥ってしまったのだ。

「昨日公園」は『都市伝説セピア』に収録。

この小説は「世にも奇妙な物語」でドラマ化されることもあって、私自身もその話題からこの小説を知ったのだ。「世にも奇妙な物語」というテレビ番組は、このように他にも有名な小説を多数ドラマ化したことがある。

最後に、東野圭吾の『ナミヤ雑貨店の奇蹟』。泥棒の主人公3人は「ナミヤ雑貨店」という廃家に入り込んだところ、外から投げ込まれた悩み相談の手紙を見つけたという話。面白半分に書いた返事を出すと、次々と悩み相談の手紙が投げ込まれて、主人公たちもひとつひとつ返信した。なんとその悩み相談の手紙は全部昔の人からの投稿だが、主人公たちはそれを知らないまま宛先の人たちの人生を変えていったのだ。

『ナミヤ雑貨店の奇蹟』。

推理小説でおなじみの東野圭吾だが、『ナミヤ雑貨店の奇蹟』には殺人が一切なく、推理をするキャラクターも出ない。主人公たちは難局に立ち向かわされた訳でもないし、先に紹介した2つの作品に比べても内容が平和で、どんな点で見ても異色な作品である。それでも、奇抜な世界観が全力全開して、これまでにありふれた不気味なストーリーを期待していた読者に一新した作風で迎えるところは、ナミヤ』の都市伝説的な魅力である。ナミヤ』を「犯人のいない探偵小説」と呼ぶ人もいるが、私は「難局のない都市伝説」だと評したい。

そういえば、城平京原作の、都市伝説をテーマとした推理小説・漫画シリーズ『虚構推理』もあって、本来はそちらも紹介したいと思ったが、その魅力を言い尽くすのに話がどうも長くなりそうで、今回は割愛させていただき、皆さんにぜひ自分で読んで欲しく思っている。

「People From My Neighborhood」について (Ben Khairir)

僕は今週の一番面白い読んだ読み物が川上弘美の「このあたりの人たち」だと思います。「このあたりの人たち」というのは色んな人格についての短編集です。各話は日常的な物語だけど、ひねるがあると各話を読んだ後で僕は「なんでその登場人物がそのような振る舞いをしたのか?」という感じがありました。

例えば、「鶏地獄」に鶏を育てる男の人があります。最初はその男の人が育てる鶏を苦しめると言われたから彼はその鶏のことが大嫌いと思ったけどその後で彼は卵をもう産めない雌鶏に生かして上げたと言われました。そのガップはその短編がもっと変で複雑になると思います。

それ以外名前がない主人公の人格も面白いと思います。その主人公はへっちゃらで「自分も生き、他人も生かせ」なタイプのような気がします。例えば、主人公はその男の人が育てる鶏を苦しめること知ってるけど何も言わなくて、彼が死んだ後で主人公は死因がわからなかったと言ってその直後新しい建物のことを語り始めました。

日本文学の言葉遊び - 「月と電池」と「かける」(Tsang)

 川上弘美の「センセイの鞄」の「月と電池」という章と多和田葉子の「かける」を読んで、日本文学の言葉遊びが面白いと思いました。


「月と電池」を読んでいたとき、なぜ作中の月子が先生のことを「先生」や「せんせい」ではなく「センセイ」と呼ぶのか疑問に思いました。


最初は、月子が先生を真面目な先生だと思っていたからだと思っていました。カタカナの「センセイ」の形はひらがなの「せんせい」の形より四角くて硬く見えるので、先生の厳しさを象徴していると思いました。一方で、月子は先生が教える国語という科目にはあまり興味がないとも言いました。 だから、月子は失礼な気もするが、先生のことをあまり教師として見ていないので、「先生」とも「せんせい」ともきちんと呼びたくなかったのではないかと思いました。この章の英語訳も読みましたが、月子が “Mr.” や “Sir” ではなく “Sensei” と呼んでいたと述べていました。だから、月子が「センセイ」を教師として見ていないのではないかとさらに思いました。あるいは、月子は国語が熱心ではなかったので、「センセイ」を漢字で言うのが嫌だったのです。


でも、読み続くと月子が「センセイ」の本名を忘れていることに気づきました。だから、自分も先生も恥ずかしくないように月子が「センセイ」は先生の本名として呼んでいなければなりません。しかし、授業中に、この小説は恋愛ジャンルであり、彼女は年齢差と過去の上下関係を埋めるために「センセイ」は先生の本名として呼んでいるのかもしれないと思いました。言葉遣いを変えたり、言葉遊びを使うだけで、読み進めていくうちに読者は登場人物や内容に対して異なる解釈をすることができることに気づきました。


もう一つ注目すべき点は、川上弘美は「月と電池」章のタイトルと主人公の名前にも言葉遊びをしていることです。 この章のいくつかのシーンは夜に設定され、月が描写されていますが、私は主人公が月子と呼ばれ、「月」という単語が含まれているのは面白いと思いました。


多和田葉子の「かける」はすべて言葉遊びでした。読んでいて、「満腹すると眠くなって、書ける」と「賭け事がしたい」など言葉遊びを使っていることに気づかなかった部分もあるので、多和田葉子の言葉遊びが上手いに気づきました。たくさんの言語には同じ単語でも口調と会話の文脈によって異なる意味を表現できますが、日本語のように同じ発音で書き方が異なり、全く違う意味を持つ単語が存在する言語はほとんどありません。他の言語ではこれほどスムーズに言葉遊びができるとは思えないので、日本語の独自性を示していると思います。


Thursday, September 28, 2023

川上弘美の作品について (Li)

 最近読んだ川上弘美の短編小説の中で、『モグラ』は確かにすごく面白いと思いますけど、『スナック愛』は私にとって印象が一番強いストーリーです。『このあたりの人たち』の中に、あらすじが理解しやすいと同時に各人物の行為は現実的な気がすると思っています。私の故郷は特に先進的な街ではないから、ストーリーの中のおばさんような生計のために、あるいは自分の子供たちのために自分の部屋を改装して、店を開店してお金を稼いでいる中年の人が沢山暮らしています。でもおばさんは特に生計のためにスナックを営業するのではないと思います。そして、毎日だいたい同じ生活を過ごしているのに、全然飽きなさそうなことはすごいと思います。おばさんのスナックはきっと集金力がないと思いますけど、「たまに客が立って混んで」の描写があります。この文章の中におばさんの他の情報があまりないので、いったいおばさんはどのような面白い身の上があるか知りたいです。私の子供時代の時、そんな情報が少ない、そして行為がおかしい人の話をずっと考えていました。実はお金持ちの奥さんでも色々な原因で一人暮らししているとがたくさん想像できます。この文章は全部直接見たこと、あるいはある人の体験を記録していますから私が読む時楽しんでいました。

 

もう一つ、偶然だけど、去年の夏休みの時、私の友達の部屋で泊まる間に、ベッドの数が足りないから、私はござの上で寝たことがあります。でもあの部屋の床はコンクリではないので特に冷たい感じがありませんでした。私は硬いマットレスが好きだからそんな経験が悪くないと思っています。

Friday, September 22, 2023

村上春樹の作品の感想

 

村上春樹の作品はとても論理的で素直な作品が多いと聞いていたが、確かに、実際読んでみると、くどい言い回しがあまりなく、とても読みやすかったです。特に、話の展開がとても早く、次々にテーマが変わっていき僕は退屈することも一度なく読み終えることができました。比喩表現は変すぎることもなく、おも白い程度に独特な村上春樹ワールドを感じました。呪いの後に紹介された曲が何か今後への伏線的意味があるのか少し興味があります。あと、おそらくお腹が好きすぎてのあまり、パンがまるで生きているかのように見えている表現がとても現実的だなと思いました。



Tuesday, September 19, 2023

村上春樹の鏡を読んだ後 (ゼンさん)

          日本語で読む物語の中で一番読みたかったのは吸血鬼のストーリーが、私の番になるとあれはも選ばれて、そこで二番面白いトピックをしている鏡というスートリーにしたのです。そのタイトルは他と違って、神秘的で、私がそれにひかれたんだ。そして、読み終わったら、少しぐらい私の思いとずれているが、やはり私の思った通りとても神秘で、面白いでした。主人公は他の友たちのような手番の肝試しような普通に幽霊を見たとかじゃなく、変な生物と接触しなかった。その代わりに、ただただ自分が学園の夜を回るとき鏡を見た、その鏡にびっくりされただけだです。実のところ心霊現象があるかどうかは全然しゃべっていなかった。一見はごく普通で、お化けが全然出なかったつまらないスートリーが、実は読者に自分で想像できる空白をいっぱい作って、よく考えるとよっぽど怖い話のです。

Monday, September 18, 2023

チーズケーキの家

 これは村上の「チーズケーキの家」の写真です。まだちゃんと残っています!

Anna Elliott



 

 

Sunday, September 17, 2023

『チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏』について (Xia さん)

ラノベみたいな題名を見たとき、すぐにこの短編に興味があった。

村上氏らしくて名前のない主人公の目線から語ったストリーで、貧乏な「僕」が「三角地帯」に住んでいた時の話である。そのところの両側は毎日電車が鉄道の上で走り、うるさいだが家賃が安かったから主人公は彼女と一緒にそこに引っ越した。村上氏はこの「三角地帯」について詳しく説明する上に、「三角地帯」はチーズ・ケーキを十二分にしたらその一個のケーキ・ピースの形をしているという面白い比喩も使用した。普通に考えないイメージだがこのところで自然にこの「三角地帯」の形を伝えた。さすが村上氏だ。

面白いところに、この短編は日常的な話だが、村上氏の言葉から非日常の気持ちが感じられる。最後のところ、鉄道のストライキがあったからついに静かになった。その電車が一本も走らない一日中に主人公は特別な幸せが感じられた。この幸せは一般な読者にとって、ストリーを読んだら分かってるのによく感じられないことだ。こう考えると、この微妙なユニークさはこの短編のハイライトだと思う。

Friday, September 15, 2023

猫の町 (Afiq Ben Khairir)

 「猫の町」は村上春樹の「1Q84」の抄本です。この話は天吾と天吾のお父さんの複雑な関係についての話です。村上をインタビューある「The New Yorker」の記事には村上はこの話が小説の中でさまざまな意味で象徴的な機能を果たしている。誰か逃亡ができない世界に歩き入っている、朝を終わったら夜が来ることを不可避などである。

僕はこの話が色々なことから面白かったと思います。一番理由は村上の書き方です。村上はほとんどシーンを書く時詳細に説明して時には不必要なことまで述べると思います。でも急にシーンは急変で前に関係がないことを書き始めます。例えば、猫の町に現在の天吾が電車を待っているから子供のころの天吾からと現在の天吾が療養所にいるまで変わっていました。

日本文学と村上春樹の『眠い』について (Li さん)

 前学期LJ251(modern Japanese literature)の授業を受けましたから、日本文学の興味を持ち始めました。私はこの前に大体中国文学と西洋文学を読んでいるので、もっと日本側の文体と日本についての知識を学びたいです。


以前、友達や他のクラスの先生から勧められて、村上春樹の有名な作品を読んだことがあります。最初に彼の文章を読んでいる時、結構困っていました。なぜなら、人々の台詞はどこかへ来たとか、あるいはなぜ急にその話を喋った理由とかが全然理解出来ないからです。読み切るまでまだ分からない部分があったけど、その作品を読むことを楽しんでいました。そして、主人公と身の回りの人たちはそんな不思議なことを当然に考えているけど、村上春樹の本で超自然的の現象が時々発生しているのも面白いと思っています。


『眠い』は村上春樹の短編小説です。あらすじは理解しやすいが、この文章は私に深く考えさせました。食べ物の上に浮かんでいる白いガス体はいったい何かとか、なぜ結婚式の後主人公は眠くなくなったのかに関する問題を少し考えました。実は私にも似たような経験があります。毎回私と関係が薄い人のイベントに参加する時、退屈になります。特に友だちがそばにいない時、場の雰囲気がにぎやかだけど、私はそんな楽しい環境を一緒に楽しめません。ちなみに私が眠い時にこの文章を見ました。でもこの文章を見た後、眠くなくなったけど、お腹がすきました。この結婚式の料理は私が経験したのより豪華すぎて、美味しそうな食べ物がある時眠くなる可能性が本当にあるのかと疑いました。

パン屋襲撃 (長谷川ヒューゴ)

 「パン屋襲撃」は1981年に村上春樹が書いた短編小説です。後ほど英訳されたり1981年には映画化された作品です。また、2012年にはこの作品と続編である「パン屋再襲撃」がドイツのデュモン社によってイラストと一緒にに短編小説が一冊となり出版されました。

この物語は二人の人物が空腹に困り、パン屋を襲撃して空腹を満たす事を目指す話です。パン屋のおじさんは何故か「共産党員」という細かい説明がありました。私の考えだとこの話で書かれてる「空腹」は社会に対しての不満であり、「襲撃」は社会への政治的な反逆の行為だと思います。なので、パン屋のおじさんに襲撃するのは社会を変えたい若い人たちの思いを表したものだと考えてます。

この話を最初読んだ時はなんて変な話だなと思ってたのですが2、3回読んでもっと意味をわかったと思います。なかなか面白くて意外に深い短編小説だと私は思いました。

Samsa in Love (Matt Batacan)

「恋するザムザ」は日本の作家村上春樹さんの短編小説です。この作品は2013年にThe New Yorkerで紹介されました。その後、2017年に村上春樹の短編集「女のいない男たち」にのりました。

この話はフランツカフカの古典的な小説「変身」の現代的なバージョンです。オリジナルの話ではザムザは朝起きると自分が虫になったいました。でも、村上バージョンではザムザは人間として奇妙な世界で目を覚まします。

「恋するザムザ」ではザムザは元に昆虫で人間になります。ザムザは人間であった事は覚えていません。彼がこの新しい世界で自分アイデンティティと記憶を探し求めるストーリーです。

物語では「猫背の少女」がザムザのアイデンティティを探すのを手伝います。無くした感情や人のつながりの力などを考えさてくれます。

見知らぬ世界でザムザはどう生きるのか、また私達はこの世界でどういう風に生きるのか、自分とは一体何なのかを考えさせてくれる大変良い作品だと思います。

村上春樹と空想の言語化 (Marcus Tsai)

1963年、スタン・ゲッツとアストラッド・ジルベルトは「イパネマの娘」をこの世に生み出した。

そして1982年、村上春樹はイパネマの娘に出会った。いや、「出会った」は間違った表現ではないだろうか。なぜなら、村上は自分の空想の中でしかイパネマの娘に出会っていないのである。

そんな空想を綴った「1963/1982年のイパネマの娘」。さて、このエッセイを読んで、村上の空想を辿って、テーマの形而上学の話でもしてみようじゃないか。ところが、「1963/1982年のイパネマの娘」では他のところに私は惹かれたのだった。

ベースはちょっと弾ける程度のミュージシャンなのだが、最近はジャズコンボに入ってリアル・ブックに載っている楽曲を大学のオリエンテーションで20曲ほど演奏していた。今はほとんど覚えていないが、特に気に入った曲に「イパネマの娘」がある。そして、ジャズ楽曲が多数登場するという小説を書いた村上春樹の「1963/1982年のイパネマの娘」というタイトルに興味を惹かれたのだ。

 「イパネマの娘」を聞くとき、あるいはその鼻歌を歌うとき、いつもボーカルの悲しげな雰囲気に連れられてあれこれ想像してしまう。その空想はどんなものか、自分は言葉にできる自信がない。しかし、村上はそれができる。その言語化された空想を「1963/1982年のイパネマの娘」で読んだとき、まるで私自身の想像を代弁されたような気持ちであった。

  • 私はイパネマ娘に出会ったんだな
  • ビールは飲まないけど、なんやかんや彼女を食事にでも誘ってみたいものだな
  • 2023年なのに、1982年の彼女――いや、1963年から全く変わっていないな
形而上学的な話に付き合う気はなかったが、 イパネマの娘の出会いに妙な共鳴が自分の胸の奥のどこかで起こったことにびっくりした。拙い言葉でやはりうまく表せそうにないが、村上春樹の空想の言語化に私は感動した。

「タクシーに乗った吸血鬼」感想 (Washington さん)

 私は、9/15の宿題のために、村上春樹の「タクシーに乗った吸血鬼」を読む機会がありました。「タクシーに乗った吸血鬼」はタイトルと同じように、タクシー運転手として働いている吸血鬼の話です。主人公は、練馬区からタクシーに乗った男性の人ではり、とてもミステリアスで面白い話だと思いました。内容はもっとクラスで話そうと思いますが、村上春樹の主人公が思っていることをはっきりとかいたこの小説のスタイルはとても面白いと思いました。また、ほとんどのストーリーの大事な内容は全部会話で書かれているのも、私もタクシーに一緒に乗って会話を聞いているほど詳しくて、とても面白いと思いました。

Thursday, September 14, 2023

エビアン・ツァン「むかし夕日の公園で」読後感

 クラスに「むかし夕日の公園で」を読んで、乙一は主人公の行動と場面をうまく描いたと思います。物語をイメージできた気がします。例えば、「周囲にはだれもおらず、助けを呼んでも、声はただ建物に囲まれた光線に反響するだけだった。」を読んだ時、私はその場面にいて、主人公が閉じ込められているのと同じように無力で絶望的に感じていることを想像できます。もう一つの例は、「指に何本も絡みついていた。砂で汚れて傷んでいたが、それは長い髪の毛であるように思えた。」を読んだ時、まるで何かが私の手に実際に触れているかのような悪寒を感じることです。


この短編小説の構造と文体はとてもわかりやすいと思います。 物語全体は 1 つの場所で起こり、2 人の登場人物が登場し、読者が見るのは 1 人だけです。敵対者である「幽霊」と思われる人物は、主人公の感覚だけで描かれていますが、他の物語の「幽霊」と同じくらい怖いと感じました。例えば、「砂の中で握り締めていた僕のこぶしが、何かの力で無理やり広げさせられた。」を読んだ時、主人公と敵対者の間に緊張感があり、主人公が逃げられるかどうか緊張しています。一方、ストーリーの「起承転結」中の「起」、「承」、「転」はうまく描写されていましたが、「結」は少し唐突だったと思います。でも物語の中盤がとても面白くて、読み終わっても振り返しています。また、主人公が「幽霊」と再会したら面白いのではないかと個人的には思います。それに、「かろうじて」、「こぢんまり」、「ざわめき」など、私にとっては新しい副詞や形容詞がたくさんありますが、それが物語に深みを加えています。 



昼間にこの物語を読んだ記憶を消すことができればいいと思い、真っ暗な公園で読むと、きっとまた違った体験ができるだろうから。しかも、この短編小説が映画化されるのをぜひ見てみたいです。そうすれば、私が想像していたものをスクリーンで見ることができるでしょう。


Sunday, September 3, 2023

JL350のブログへようこうそ!

皆さま、
JL350のブログへようこうそ!日本文学について何でも自由に書いてください。皆さまの記事を読むのを楽しみにしています。

Anna Elliott 

エビアン・ツァン 芥川龍之介と死

私は宿題のために、芥川龍之介の「点鬼簿」を英語で読みました。芥川の身近な人たち、つまり母、父、姉の死について書かれています。しかし、これらの身近なだと思われている人々は、実際には彼にとってあまり親しくなかったです。 彼の母親は気が狂っていると見なされており、彼にとって優しい母親で...